2011年12月31日土曜日

大晦日2011

なんだかんだで今日が今年最後。

2011年は早かったー。

大晦日2010がついこのあいだのよう。
留学先のネブラスカ州で400円くらい(5ドルくらい)でデッカイ牛肉買って、塩こしょうの味付けだけで食べてたのを思い出す。あれは美味かった。
ネブラスカは牛肉の産地だからめちゃくちゃ肉が安いんです。

いろいろあったな、、

父親の入院。
震災や津波。
それに災害とは関係ないけど、友人の他界っていうかなしいことがあったから
忘れないだろうな、2011年。

自ら逝くのを正当化しようとする理由なんて…クソだよ。
でも ありがとう。
…生きるよ、オレは。


そろそろ前にすすまないとね。
いいこともある。

明日から心機一転。
2012年は笑顔の年にしよう。
駆け抜ける!!

よいお年を…!

Toru

2011年12月13日火曜日

やっぱり…

弟に『聴け』と言われました。
『今のおまえそのものやないか』と。
ったく、、相変わらずよくわかってるやがる。dude.




Toru

学生生活 "残り時間"と"読書"

まだ学生。
来年の4月からは社会人。

社会人まで、
あと3ヶ月と18日。

日数にして、
あと109日。

最近終わりが刻々と近づいてきているのを感じている。

残された学生生活で何をすべきなのか?

友達に会ってまわる。
もちろん。
旅行に行く
それもある。

それらと同じ位やっておきたいこと。
本を読むこと。

学生の時は、時間を使ってでもお金が欲しい。
逆に社会人になれば、お金を使ってでも時間が欲しくなる。
まだ社会人ではない。けれど、そうなるだろうという確信に近い予感がある。

だから本を読んでおきたい。
社会に出る前にできるだけたくさん。

じゃあ、どんな本を読むべきか。
文庫本(または古典とも)。
これしかない。
特に専門書。これを読み込むのは学生しかできない。
時間のない社会人には絶対に無理だろう。

新書も悪くはないんだけれど、大抵くだらない内容のものが多い。
僕の場合、自己啓発本が多いから、なおさらだ。(もちろん良い本もあるが。)
ある本にこんなことが書いてある。(以下一部抜粋)

" われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない。
  聞くところによると、植物は地上に見えている部分と地下にかくれた根とは形もほぼ同形でシンメトリーをなしているという。花が咲くのも地下の大きな組織があるからこそだ。
  知識も人間という木の咲かせた花である。美しいからといって花だけを切ってきて、花瓶にさしおいても、すぐ散ってしまう。花が自分のものになったのではないことはこれひとつ見てもわかる。"
 -『思考の整理学』外山滋比古 (ちくま文庫)

このことはまさに自己啓発本にあてはまる。

花=成功、結果、方法、"成功するための"知識。
枝葉=成功者の苦労、努力、知恵。
幹=著者(成功者)の人となり、人柄。
根=著者(成功者)を含め我々の人となりを形成するのに影響を与える文化・文明を創造してきた先人たちの功績。

成功したいと願って読んでも自分のものにはならないのだ。
根がなければ。
ならどうやって根をのばす?
先人に学ぶしかない。
古典は先人たちの残した名著の数々なのだ。
創造に貢献してきた輝きをもつからこそ、現代でもなお文庫本として何度も復活している。言い換えれば、"必要なものだから"、淘汰されず、風化せず、現代でも残っている。
ありがたくも、創造を支えた功績を垣間見せてくれる。
その功績に歩み寄り触れることで、我々自身の思考や価値観に幅と奥行きを与えてくれる。
そしてそれが"各人の"根の大きさ、ひいては幹の太さになる。
"花"を咲かせる"根幹"になるのだ。

…なんかえらそうだな。ま、いいか。

だから読書をしておきたい。
学生でいられる今。


Toru

2011年12月4日日曜日

KOKIAと鬼束ちひろ

KOKIAと鬼束ちひろは僕の中で光と闇のようなイメージ。

この二人は好き。
アーティスト自体にはあまり興味のない僕の数少ないお気に入りの歌手。

KOKIAの声と曲は僕に天使を連想させる。
天から救いの声を授けてくれるような。
全て受け止めて、包んでくれるような。
そんな感覚を覚える。

逆に鬼束ちひろの声と曲は僕にニンゲンを想わせる。
言葉にできない心の痛み、弱さ、苦しみ、傷を言葉に翻訳してくれるような。
ニンゲンの魂の叫びのような。
僕が苦しみもがいている地上の側に立って歌ってくれているような、そういう感覚。

別の表現をするなら、
KOKIAは外側から、鬼束ちひろは内側から訴えかけてくれる。

この二人の曲に出会えたことは本当に幸せだったと思う。
この二人の歌なくして僕の今はない。ほんと。

特に鬼束ちひろ。
KOKIAをハートのエースとするなら、
鬼束ちひろは僕にとって伏せのジョーカー。最後の切り札。
僕が鬼束ちひろを聴くのは『本当に』沈んだとき。
『底の底の底』に沈んでいるときだけに限る。
普段は絶対聴かないようにしている。封印している。
それは自分の精神が弱って、歪んで、不安定な状態になっていることを認めたくないから。

が、聴いちゃったんだな、今日。
なぜ鬼束ちひろの曲を聴くとこんなにも落着くのか。

KOKIAの歌を聴いた後は『優しい』気持ちになる。
すごく癒されるし救われる。それに暖かいんだよね、なんか。
一方、鬼束ちひろの歌を聴いた後は『静寂』。
波風ひとつ立たない冷たく暗い空間にいるような気持ちになる。
でも不思議なことにそこがまたスタートの様に感じることが出来る。
『ここが底か。これより下はないんだな。そろそろ上ってみるか。』
って思える。底にはいるけれど、『終わり』ではないことを教えてくれる。

二人の曲に幾度も助けられている。
だからこの二人は好き。


Toru



YouTube より
KOKIA
人間ってそんなものね


YouTube より
KOKIA
大事なものは目蓋の裏


YouTube より
鬼束ちひろ
月光&Castle Imitation





2011年12月2日金曜日

You'll always find your way back home

歌ばっか聴いてるわけだが。
Hannah Montanaの曲はなかなか好きなんだな、コレが。

Toru




YouTube より
Hannah Montana
You'll always find your way back home


起きたら雨の月曜日
今日もまた慌ただしい一日になりそう
時間よ、また遅刻 早く家を出なきゃ
時々、逃げ出したくなる
 全く違う世界へ飛び込みたくなる
すべて捨てて、立ち上がって、踊りだしたくもなる
でも明かりが消えたらショーは終わる
そして帰る場所がないように感じる
わかるでしょ?

髪型は変えられる
服装も変えられる
気持ちだって変わるのよ
そんなもんでしょ
『さよなら』『はじめまして』の繰り返し
でもいつも帰り道は見つかる

スタイルは変えられる
ジーンズも変えられる
飛ぶこともできる
夢を追うこともできる
笑ったり泣いたりすることだってできる
みんな知ってるわ
いつだって帰り道はあるのよ

親友と小さな故郷
どこに行こうとそこにある
だからいつでも戻ってくることができる
この世界は大きくて素敵だから
ひょっとして私は
誰かの夢見ている場所に立っているかもしれない
私がどこにいるかわからなくなって
怖くて不安になった時でも
私には帰る場所があることを知っているから

髪型は変えられる
服装も変えられる
考え方も変えられる、そうでしょ?
『さよなら』も『こんにちわ』も言える
帰り道をいつでも知っているから

スタイルは変えられる
ジーンズも変えられる
飛ぶことができるから、夢も追える
泣いたり笑ったりも出来る
みんな知っているから
帰り道の見つけ方を

あなたが誰なのかをみんなが知っているところ
あなたが本当の意味でのスーパースターでいられるところ
いつも近くにあるって思えるところ

髪型も変えられる、服装も変えられる
考え方も変えられる、やりすぎたときだって
『さよなら』も『こんにちわ』も、ちゃんと言える
帰り道がいつでも見つけられるから

スタイルも変えられる、ジーンズも変えられる
飛ぶことを覚えたから夢だって追える
泣いたり、笑ったりできる
みんな知っているから
あなただけの帰る場所を


====================おまけ====================


YouTube より
Hannah Montana
Let's get crazy


The Climb

進めと。
歩みを止めるなと。

Toru



YouTube より
Miley Cyrus
The Climb


私は私が見ている夢が
現実になっていると納得しそうになっているけれども
私の頭の中で響く声が
「あなたは決してまだ夢には到達していない」と言っている

私は一挙一動するたびに方向を見失ってしまい
私の信念も揺らいでいる

でも私は努力し続けなければならない
自信を持って頭を高く上げていなければいけない

絶えず次の山は現れる
私はいつでもその山を征服したいと思う
いつでも頂上決戦になるだろうし
時々は敗れることになっても仕方がない

どれだけ早く私がそこへたどり着くかが問題ではないし
山を越えたところに何が待っているのかが問題でもない
登ること自体が重要なんだ

私が直面する苦闘や
私が掴むチャンスが
時々私を打ちのめすだろうけれども
私自身がダメになるわけではない

私は分かっていないのかもしれないけれど
そのように葛藤する時間こそが
私のかけがえのない想い出になるはず
ただ歩み続けなければならない

私は強くならなければならない
ただ進み続けるんだ

絶えず次の山は現れる
私はいつでもその山を征服したいと思う
いつでも頂上決戦になるだろうし
必ず誰かが負けることになる

止まることなく登り続けよう
信念を守り通そう
登る上で大切なことはただそれだけ
あなたの信念を貫き通して




2011年12月1日木曜日

失恋歌

たとえ同じ曲を聴いたとしても
自分が想う人と想う人が想う人とが交わることはない。

切ないね…。





YouTube より
HY
366日





YouTube より
HY
NAO



2011年11月29日火曜日

Endless Possibility


"We've all gotta start from somewhere.
 And it's right there for me".
- Endless Possibility

"みんなどこかがスタートなんだ。
 だからオレはここからはじめる。"


ソニックの曲はいつも良い。
オレもここから。

Toru




YouTube より
Endless Possibility
Jaret Reddick(Bowling for Soup)


これがオレの生き方さ
振り返らずに世界中駆け回ってる
見えているのさ 誰もたどり着いた事の無い場所が 

だから振り返らない
いつたどり着けるのかは分からない
いつ去るべきなのかもわからない
みんなどこかがスタートなんだ
だからオレはここからはじめる
可能性に終わりは無いから

オレには見える、見えるんだ この手にいつか届くモノ 
それは終わりなき可能性

見える、今なら見えるんだ いつだってこの胸の中にあり 
この心を解き放つもの
それは終わりなき可能性

だからオレは続ける
今が輝く瞬間だってのを感じるぜ
全力のスピードで 登りつめて見せるぜ しっかり見とけよ
だからそこに着いたら起こしてくれ
夢で迷ってしまったような気分なんだ
時代がついてくるってことは分かってる
見えているのさ終わりなき可能性が

オレには見える、見えるんだ この手にいつか届くモノ 
それは終わりなき可能性

見える、今なら見えるんだ いつだってこの胸の中にあり 
この心を解き放つもの
それは終わりなき可能性

お前らしくないぜ 笑ってるなんて
眠っている力とともに別の自分になるのさ

スピードが落ちてるぜ
うまく乗り切れないぜ
だがオレの秘めた力をお前は知らない
秘めた力を解き放つんだ

オレには見える、見えるんだ 今すべてが手の中にある
見える、今なら見えるんだ いつだってこの胸の中にある
オレには見える、見えるんだ この手にいつか届くモノ 
それは終わりなき可能性

見える、今なら見えるんだ いつだってこの胸の中にあり 
この心を解き放つもの
それは終わりなき可能性

終わりなき可能性

終わりなき可能性

終わりなき可能性


2011年11月28日月曜日

No Reason

誰が自分の人生に責任を取ってくれるというのか。
自分の眼で見極めろ。

Toru




YouTube より
No Reason
Sum41



俺たち全員、おまえ次第ではないと思っている
結局のところ、俺次第なのさ

これ以上どうやって偽れるか
背を向け、無視すると言うことに決めた
ある人は無知だと言う
でも俺は純真さを感じる
俺の一部は奪われるが
手放すつもりはない

なぜおまえたちにはわからないのか
俺たち全員倒れたらもう手遅れだ
なぜ理由がないと変えられないんだ
俺たち全員倒れたら、いったい誰が責任を負う
何のためになる

これ以上真実に近づくことはない
感じることのない、満足のない人生
犠牲を払う覚悟のやつもいる
単純な白と黒ではない
俺は従わない

なぜおまえたちにはわからないのか
俺たち全員倒れたらもう手遅れだ
なぜ理由がないと変えられないんだ
俺たち全員倒れたら、いったい誰が責任を負う
何のためになる

ようやく今、俺はわかってきた
すべてのこと。でも時間はもう残っていない

俺たちは自分に必要なものを信じようとする
既に持っているものが見えていない

なぜおまえたちにはわからないのか
俺たち全員倒れたらもう手遅れだ
なぜ理由がないと変えられないんだ
俺たち全員倒れたら、いったい誰が責任を負う
何のためになる

どれくらいの間、これは続いていたのか
終わりが見えてこない
もう手遅れだ、変えられない
既に始まったことを
俺たちはそれが間違っているかのように行動する
なぜそんなフリをしているのか
もう長い間、間違っているのだろう
ずっと分かっていたことを



2011年11月22日火曜日

僕は雲を眺めるのが好きだ。

夜を除けば
雲一つない蒼い空より、少し雲の流れている空の方が好き。

一度として同じカタチをつくることはない。
似ているようで、いつも表情は違う。
時には全く違うこともある。

太陽の傾きで、空の色とともに雲もまた見せるカオを変える。
風の強さで、動きも変える。
すぐに過ぎ去っていってしまう時もあれば、
時間が止まった様に、静止してずっと空に浮かんでいる時もある。

飽きることがない。

少し
立ち止まって
雲を眺めるのはいいものだ。

今日も。


Toru




YouTubeより

空の欠片
池田綾子

2011年11月21日月曜日

音楽

音楽。

『音』を『楽』しむ。
よく聞くフレーズ。

ただ僕の場合はどちらかというと『楽』は『らく』。
音が楽にしてくれる。心を。

僕にとって音楽は救いであり、癒し。

ヘコんだとき、苦しいとき、かなしいとき、不安なとき、つらいとき、悔しいとき、切ないとき、、、
挫折感や無力感。敗北感や劣等感。喪失感や孤独感。空虚感や虚脱感。失望感や徒労感。
そういう負の感情が心の大半を占める時にこそ僕は音楽を聴く。
『聴く』のだ。

家にいるときも。
出かけるときも。

自分が負の側に立っているとき、
一人でいる間はずっと音楽を聴いている。


逆に、そういう時でないとあまり音楽を聴かない。
『聞く』時があるとすれば、テンションをあげたい時に洋楽を流すくらい。
俗にいうBGMだ。
だが、それはたまたま音楽という手段を採っただけ。
別に酒でもかまわないし、運動でもかまわない。
裏を返せば音楽であってもいいのだ。だが音楽である意味はない。


しかし、自分が底にいると感じる時に限っては音楽でなければならないのだ。

自分の心を揺さぶってくれる詩にしか興味を持てない。
アーティスト自体にはあまり興味がない。
数少ないが、お気に入りの歌手はいる。
だがその歌手のアルバムでさえ隅から隅まで聴くようなことはしない。
そもそもアルバム全曲を一つの作品として捉えていないのだろう。
もっと言えば、それらは僕にとって重要なことではない。
僕の心に届く詩や音を持った曲と歌い手ならば誰でもいい。
それさえ満たすなら好きも嫌いもない。

救いと癒しを与えてくれるのなら。
それがまた僕を沈んだ底から引き上げてくれる。

だから
音楽は僕にとって大切であり、
不可欠であり、
崇高なものなのだ。


音楽は素晴らしい。
何度救われてきたことか。


Toru



======================あとづけ=====================


YouTube より
KOKIA
祈りにも似た美しい世界
Music, like a prayer

28/11/2011

2011年11月11日金曜日

死ぬにはいい日だ

死ぬにはいい日だ。

行きたいところに行って。
やりたいことをやって。
見たいものを見て。
考えたいことを考えて。
知りたかったことを知れて。
泣きたいときに泣いて。
伝えたいことを伝えて。
想いたい人を想い。
吐き出して。

すごく素直に生きた。

今日という日に後悔がない。

死ぬにはいい日だ。

"でも本当は
  死ぬにはいい日なんて死ぬまでない。"
"いつだって
  今日を生きるしかない。"


今日みたいな日を毎日過ごせたなら、

それはそれで、

素敵だ。




とても大切な人に感謝をして
眠りにつきます。



ありがとう。



明日からも死ぬにはいい日を。




11/11/2011.
H.F.に捧ぐ。



==============あとづけ================

"It's a good day to die".
- Crazy Horse

"死ぬにはいい日だ"
ネイティブアメリカン、クレイジー・ホースの言葉。
ネイティブアメリカンは皆挨拶として使っていたらしい。

僕はこの言葉を漫画を読んではじめて知った。
作中ではベトナム戦争時のアメリカ兵から生まれた言葉とあったが、
調べたところ、ネイティブアメリカンの思想が起源のようだ。

死ぬにはいい日だ。
あの言葉の真意は
死ぬための言葉ではない。
生きるための言葉。
死ぬにはいい日など死ぬまでない。
いつだって今日を生きるしかない。

僕はこの解釈が好きだ。


いつ死んでも後悔がないように一日一日を自分に素直にそして大切に生きていく。


それがネイティブアメリカンの思想。

これからもよろしくね。
11/12/2011.
====================================


Toru

2011年10月27日木曜日

Life is short. Do what you Love.

僕の尊敬する先生は、元アップル社員。彼に影響されて僕自身アップル製品の大ファンになってしまった。


その先生がよく仰る言葉。
"Life is short. So, do what you love".
"人生は短い。だから自分の愛することをしなさい。"


最近この言葉がずっと頭の中をぐるぐる回っている。


きっかけはスティーブ・ジョブズ他界のニュース。


"You can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards".
"未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。(だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。)"
 - Steve Jobs 


2005年、スタンフォード大学卒業式でスティーブ・ジョブズが行った伝説と言われるスピーチの一文だ。
僕がこの言葉を初めて聴いたのは2年前。2009年のこと。
感動した。だが、どうすればいいのかわからなかった。
ジョブズのメッセージはシンプル。
信じること。
言うは易し行うは難し。どうすれば出来るのか。
シンプルだが単純ではない。


結局わからないまま。ズルズルと最近まできた。


スティーブ・ジョブズ逝く。


信じたくはない。だが、そろそろかもしれない。
アップルファンの多くがそう思っていたのではないだろうか。
そして、日本時間の2011年10月6日、その時を迎えた。


奇しくも尊敬する先生の誕生日だった。
その時、先生の言葉を思い出した。
"Life is short. So, do what you love".
この言葉はジョブズの言葉をさらに噛み砕いた言葉だと、その時思った。


自分の愛することに情熱を注ぐこと。
ただそれだけ。


僕なら
家族、恋人、友人、趣味、自分の理想像。仕事は、、まだ社会に出る前だからわからないけれど。


未来はみえない、
だからこそ、
自分の愛することに情熱を注ぐこと。
それしか出来ないし、それなら出来る。


"Life is too long to do nothing;
life is too short to do something".
"人生は何もしないには長過ぎるが、
何かをするには短過ぎる。"
 - 詠み人知らず




Toru

2011年10月20日木曜日

About Me

Station-Sationを覗いて頂き、ありがとうございます!

はじめましてToruです。

生まれも育ちも京男。
写真好き。本屋立読み常習犯。ビビッとくるデザインの鞄に出会うと幸せである。
- 自己紹介欄より

日々の生活を通して感じる事、考えた事などを残せる場所、発信出来る術が欲しいなと思ったのが、このブログを始めるに至ったきっかけです。

では僕の詳しい(詳し過ぎる?)プロフィールをご覧になりたい方は以下をどうぞ。

========================Toru========================

Toru
1989年(平成元年)3月27日生まれ
22歳 (この記事作成当時)

身長 だいたい180cm
体重 だいたい70kg
O型 (血液型占いは信じない。※都合いい時を除く)
牡羊座
巳(へび)年

此処より下は我が半生の記憶。

*幼稚園時代。ぼやけて見える。

*小学生時代。絵が好き。小2からアトリエに通う。落描きばかりしていた。絵を描いては先生にプレゼント。小5で野球を始めると同時にアトリエをやめる。守備位置ライト→セカンド。

*中学時代。地元の公立中学校進学。3年間野球部所属。守備位置セカンド→ベンチw。中学3年時TVで毎週夜木曜〜日曜ロードショーを見まくる。洋画が多く、外国人の女性=美人という方程式が脳内成立。

*高校時代。受験勉強はぼちぼちだったがなんとか府内公立高校進学。クラシックギター部に3年間所属。2年時、合奏で高校ギターマンドリン音楽祭 音楽祭大賞受賞。3年時「関口知宏 鉄道の旅」を見て外国に憧れを抱き留学を意識。が英語は苦手科目。単語帳片手に過ごし、なんとか関西外国語大学 国際言語学部に合格。

*大学時代。
 1年時。E.S.S.部に所属。当初サークルだと思っていたが、実は部活だったために練習が多くビビる。1年ディベートに挑戦するも進歩なく挫折。
 2年時。その後英語劇に参加。膨大な台詞の暗記や発音矯正に苦戦しつつも、楽しく、時に厳しく過ごす。その甲斐あり、英語の発音はまともになる。しかし肝心な留学選考の勉強をせずに大学2年の冬を迎える。当時の英語力では選考突破は不可能。このままでは外大に来た意味がないと思い、1年間選考突破のための勉強を決意。
 3年時。入学当初TOEFL417だったが選考時にはTOEFL560を取得。特別高い点数とも思わないが自分なりに努力出来たと感じた。少しの自信と共に交換留学の選考試験を受けるが3次選考であえなく落選。若干の鬱状態に陥る。不安定な精神状態で13日間引き蘢る。当時は鬱病が社会問題化し始めた時期でよくTVで特集が組まれていた。ある番組では僕の当時の状態が14日続けば鬱病と診断出来るということらしかった。しかし14日目にして復活したのでギリギリセーフ、No Problemである。その後、推薦留学の選考試験に合格。推薦留学合格者のみ受験可能なISEP留学に応募し合格。晴れて派遣留学候補生となる。半学期間、選考の意味合いを含む予備教育期間をヒーヒー言いながらクリア。
 4年時。アメリカのISEP提携校Nebraska Wesleyan Universityへの留学を実現。ネブラスカ自体はかなりの田舎だが、15カ国を超える国々から留学生が集まる大学で留学生活をスタート。ビジネスとアートの科目を履修。当初は先生の英語が全く理解出来ず、授業後に毎回オフィスを訪ね質問攻め。毎回やさしく教えていただきました。ありがとうございました。授業の中でも特にカメラの授業は最高だった。
生活面ではホームシックになるかと思ったが全く大丈夫だった。和食シックにはなった。学休期にはLA、ラスベガス、グランドキャニオン、ニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴなどを旅行。
勉強は一杯いっぱいではあったが、楽しかった。後半の学期も半分終わり、平穏に過ぎるかと思われた矢先、東日本大震災発生。津波直撃のニュースを知る。衝撃だった。すぐさま家族や友人に連絡を取り無事を確認した。同じ留学先に被災地出身の日本人女子学生がおり、彼女を中心に募金活動をスタート。授業前に時間を頂き各クラスでアナウンスメントを実施。僕は泣きながら話した。家族も友人も無事だった。だから泣かないと思っていた。しかし号泣。日本に居られないことがとても歯がゆく悔しかった。その時が、自分が日本人だと言う事を人生の中で最も強く意識した瞬間だった。※幸い女子学生のご親族は無事であった。
被災という哀しみはあった。しかしそれでも、ここでは書ききれない程多くの事を体験し、世界各国の友人もでき、最高の留学生活であったと言える。しかし留学期間は有限。友人たちとの別れを惜しみつつ帰国。4年時の留学は、就職活動氷河期ということがあり、行くのを迷った時期があった。だが、行ってよかったと心から今思う。チナミニ外国人女性ハ美人デシタヨ(棒読み)。いや美人な方も一杯いましたよ。ホント。でも今は日本人女性が大好きです。笑
 5年時。5月中旬に日本に帰国。1ヶ月程ゴロゴロして就職活動スタート。幸いにもご縁があり、7月下旬関西の企業に海外営業職として内定。ありがたき。




ではでは
大した事は書けませんが、徒然なるままに、、



Thanks my friend for the birthday present.



Toru